あえかなひかり、風、それにおんなたちのうたげ | 「もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20s Paris」展

 

もうひとつの輝き 最後の印象派展を訪れた。

 

会場に入ると物憂げな、微睡むような微笑みを浮かべる女たちと目が合う。

エドモン・アマン=ジャン、エルネスト・ローランらソシエテ・ヌーヴェルの牽引者が繊細な筆致で描いた輪郭をみつめていると嘗て一年を過ごした葡萄牙留学中に心を奪われた祭りの夜のおんな、真冬の漁師町の海辺でストールを巻きつけ険しい表情をしたおんな、春の日差しのなかでピクニックに出掛けたおんななどかつて邂逅したおんなたちが次々と立ち現れ消えゆく。

 

エドモン・アマン=ジャン 《幻想》

エドモン・アマン=ジャン 《幻想》1918年?

油彩/板 個人蔵

 

エルネスト・ローラン《背中》

エルネスト・ローラン《背中》1917年

油彩/キャンヴァス 64×53cm

 

アンリ・マルタン《野原を行く少女》

アンリ・マルタン《野原を行く少女》1889年 油彩/キャンヴァス 170×130cm

歩くたびに花片が瓦解する。纏うのではなく幾重にも巻かれ吹きこぼれるパンジーやスイートピーといった花々、右奥の老夫婦は息をとめて春が来るのを眺めている。朝露のまだ薄ぼんやりとした大気のなかで彼女のまわりだけは清浄である。陽光の暖かさとは対照的に表情は固く、髪もきつく編まれている。まるで灯火のように薔薇の蕾を掲げ、おんなはどこを目指すのか。

 

 

アンリ・ル・シダネル 《日曜日》

アンリ・ル・シダネル 《日曜日》 1898年

油彩/キャンヴァス 112.5×192㎝

ドゥエ、
シャルトルーズ美術館 photo © Yves Le Sidane

 

 

やすらぎの安息日

彼は誰時のひかりと蜂

それから黄金の樹々にさんざめく鳥たち

やすらぎの安息日

ましろの衣に身を包む子らよ

街は薄青の靄にきらめく

此処はフランデレン、ポプラの小径

海は砂浜を抱き寄せる

Contemporary Belgian literature/Jethro Bithell(拙訳)

 

 

 

 

なかでも私は、上に記したマックス・エルスカンの詩、『生への賛歌』に着想を得たとされる1mの大作、アンリ・ル・シダネル『日曜日』に心奪われた。

乳白色の薄靄の中、紫陽花の花が一面に敷きつめられたような小高い丘と若葉色と黄金色の入り混じるポプラの樹々、その眼下には街の全景が広がる。まだ夢うつつの街をで薄紅に染まった河が囲み、流れを続ける。丘にはうら若き乙女たちが集う。彼女らは赤毛の髪をほどいたままにしたり、うなじを見せるよう結いあげたりハーフアップにしたりと思い思いに美しく装い、柔らかなひだや切り返しなど意匠の異なる白いパフスリープの長袖ドレスを身につけている。

基にされた詩篇のなかでは、白い衣を着た子供達の描写があるので、アンリ・ル・シダネルの心象世界に住まう乙女たちが描きだされたと捉えることもできるが、カトリックなどではその年八歳を迎える少女が白い衣を纏い五月の初聖餐式に参加するというが、それより年嵩であるこの画の乙女たちは堅信に参加する一行であると想像することもできる。ともすればシルエットと見間違えてしまいそうにそっと描かれた人影は朝の光をうけ淡やかに発光しているようだ。画面中央でこちらを向き口許を綻ばせる乙女の唇の朱が目に鮮やかだ。これまでは印象派と聞くとモネやルノワールのような爽やかな陽光の下の絵画を思い出す場面が多かったがル・シダネルのこの絵画によって新たな印象派を知ることができた。二度、三度と絵画を見返す度、夜が明け、陽が昇ってゆくように感じられる。

 

パリでの修行時代を終えたアンリ・ル・シダネルはフランス国内をはじめ、イタリアのヴェネツイアやフィレンツェ、ベルギーのブリュージュへの旅を続けながら、「光」の表現を探しもとめた。

 

彼は、その中で生きているものの存在を充分に喚起させる、

事物の無音の調和を創造した。Camille Mauclair/1872-1945

 

『日曜日』が発表された1898年は、シダネルが両親の反対を押し切って、のちの妻となるカミーユと共にベルギーのブリュージュへ逃避行していた時期と重なる。先述したマックス・エルスカンがベルギーの有名な詩人であったこと、フランデレンの地名からの連想と繋がり、絵の舞台はブリュージュであったのではないかと予想される。

 

 

 

 

第1章 エコール・デ・ボザールの仲間たち

第2章 北部の仲間たち

第3章 「バンド・ノワール(黒い一団)」の仲間たち

第4章 ベルギーの仲間たち

第5章 遅れてやってきた仲間たち

第6章 最後に加わった仲間たち

 

1900年、世紀末のパリはベル・エポックとも呼ばれ、数多の芸術が花開きフランスを満たした時代でもあった。その雰囲気を代表する世代のひとつに『画家彫刻家新協会(ソシエテ・ヌーヴェル)』があり、この展覧会は彼らにひかりを当てた本邦初の巡回展という。展覧会の構成は以上の通りである。

ソシエテ・ヌーヴェルは同時代の画家集団とは異なり、主義主張を同じくする構成員によって作られたグループというより、展覧会の構成が「仲間たち」という表現で淡く彩られているように「メンバー相互の友情関係」に支えられていた。彼らはそれぞれが独自のスタイルを確立し深めてゆくことを目指した。ただ自然への愛は他メンバーにも浸透していたと考えられている。メンバーのひとりであったアマン・ジャンが「(自然は、)それがすべてであるひとつの感覚に従って調和されている」といった言葉を残したこと、田舎にそれぞれ家屋を有し制作活動を続け、春の内覧会が近づくとパリのアトリエにさながら渡り鳥のように舞い戻ってくる彼らの創作スタイルからも伺い知ることができる。

彼らは外界の身近な世界や「自然」を徹底的に観察することで、その中の内的感覚、世界に呼応する事物、色彩の付与された形態を見出そうとしてきた。しかし象徴主義以来、「自然」への疑念や伝統への反発とともに台頭した革新的なモダニズムに覆い尽くされるように、「自然」を愛したアンティミストの画家たちは1920年代に役割を終え、最後の印象派として歴史にその煌めきのみを残した。

 

 

 

 

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